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★エッセイ『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常』
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夕べの映画の中でお尻を出した夫が言っていた言葉。
そんなもんだろうか?
昔聞いた「東北人の気質」を表した言葉に、「隣人が蔵を建てればおもしろくない」、それが嵩じれば「火をつけにいく」というのがあった。
だから東北にはベンチャーが育たないのだと、その社長は言っていた。
その気質は東北だけでない。島国根性をDNAとして持つ日本人すべてが、そういう「ひがみ」「やっかみ」「ねたみ」を持っている。他人の成功を素直に喜べないと。
確かに、ここの村でもそういうことがある。いいことであれ悪いことであれ「なるべく目立たないように」というのが暗黙の掟のようになっている。
でも、これってどうなのだろう?
ボクは間違っていると思うよ。
「友の不幸が蜜の味」っておかしいと思うよ。
そもそもそれは友じゃない、とボクは思います。
友の幸せにこそ喜びを感じる人が好きです。
別に聖人君子になるつもりはありませんけど、それだけは嫌いだな。
(2011.01.19) このページのトップへ
この映画は第1章から第4章まであって、全部で3時間以上ある。夕べのシアタータイムは一気にそれを観た。
『サラバンド』では父と息子、『秋のソナタ』では母と娘の関係をえぐりにえぐったイングマール・ベルイマン監督が、今度は夫婦関係にメスを入れた。
一見人もうらやむような仲のいい夫婦。だけど、そこには「じゅうたんの下」に隠された山のような不満があった。
夫は愛人と家を出る。
「もう4年も前からうんざりしていた」
と告げる夫。しかも、そのことは彼らの友人はとうに知っていた。知らないのは妻だけだった。
劇中、子どもが成人して夫と別れる決意をしている初老の夫人が言う台詞。「愛のない生活の中で愛情を感じる感覚さえも失いそうだ」。
「夫婦の愛情」を執拗に深く深く掘り下げていった映画だった。
こういうことは『映画コーナー』で語るべきなのだが、インパクトが強かったので書きたくなった。
「みっともないよね、あの亭主」
妻は、結局家に戻ってきた夫に手厳しい。
「カッコつけてるけど、あの裸体のみじめさが象徴してるわ」
着替えのシーンで見せた彼のたるんだケツが脳裏から離れないらしい。
「夫婦って何だろうね。それにつけてもボクたち平和だね」
「オッペケペーとすっとこどっこいだからじゃない?」
「それもあるけど、ボクのケツがまだたるんでないからじゃない?」
「なるほど」
やっぱりいつものオチになった。
(2011.01.19) このページのトップへ
海は、右手のほうの岩の重なる磯では、底ごもりした重量のある吼声(ほえごえ)をあげていた。
幾重にも連なって押し寄せる波は、つややかに濡れた暗褐色の岩にぶつかっては白い飛沫(しぶき)をあげ、泡立ち、渦を巻いた。
しかし、やや薄墨色をおびたなだらかな砂浜の広がるここでは、海はもっと穏やかな呟(つぶや)きを洩らしていた。
波のひいていったあとの砂地は、黒ずんで、際どく脆(もろ)く平滑に輝いた。
そこに足を踏み入れると、足裏は甘酸っぱい感触のうちにもぐってゆき、そこらに無数の穴をあけた小蟹の巣のように、こまかい気泡をたちのぼらせるかと思われた。
かたわらでは、打ち上げられた海藻が髪の毛のようにもつれ、すがた珍しい貝殻をごそごそと動かす甲殻類が、また打ち寄せる波の音にあわせて首をひっこめた。
そして、微風が吹いていた。
磯の香が身体一杯にまつわりつき、遠くのほうで、絵画に似た雲のたたずまいの下で、海が微妙にその色を変えた。
大好きな小説『楡家の人々』(北杜夫)の1節である。
ボクが、小説を書きたいと思ったきっかけにもなった1冊である。
(2011.01.18) このページのトップへ
写真で紹介できないのが誠に残念!
撮るな! と言われたからです、代表に。
仕方ないので文章で伝えます。上手く伝わるかなあ。
工事現場の人がヘルメットをかぶるように、弊社代表の頭には、いつも「ヘッドホン」が装着されてございます。
今しがた、弊社代表は「ひと休み」と言って、それを外しかけました。
しかし、なぜか今回はそれを外しませんでした。外すフリをして、連結部分を手前にずらしました。
詳しく言うと、アームの部分を額のほうにクルッと回したわけですね。
どういうことになったか?
タコになりました。
風船で作ったタコが頭に巻いている「ねじり鉢巻」がありますよね。あれを巻いたタコになりました。
「タコ!」
とボクが言ったら、ますますふくれて赤くなりました。
いよいよ本物の「タコ」になりました。
(2011.01.18) このページのトップへ
海の向こうの人たちはダンスが好きだ。
古い映画を観ていると、舞踏会とかパーティーとかのシーンでは、ドレスを着た夫人とタキシードを着た紳士が必ず踊っている。
そして必ず回っている。
しかもものすごい勢いで、ぐるぐるぐるぐる回っている。
年寄りもみんな回っている。
ぐるぐるぐるぐるぐる・・・。
あれって、目回らないのかな?
(2011.01.18) このページのトップへ
42歳で芥川賞を受賞した井上靖。
彼がこんなことを言っている。
量のない質というものはない。
書けない、書けないと言うのは、それは書けないんじゃない。
書かないんだ。
書かないと、書けなくなる。
その通りだ。書こう。
(2011.01.18) このページのトップへ
夕べのシアタータイムに『秋のソナタ』を観た。
その前に、ヒッチコックの見落とし作『疑惑の影』を観たので、タイトルのさわやかさに惹かれたからだ。お口直しのつもりだった。
ところが、なんのなんのヒッチコック形無しの鬼気迫る迫力だった。圧倒され2人とも無口になった。
スウェーデンのこの監督は、黒澤、フェリーニとともに『世界の3大映画監督』と称する人もいる。
ボクらも『処女の泉』『叫びとささやき』『サラバンド』を観た。
「鳥肌もんだね」
「役者の演技も半端じゃないね」
「顔の表情だけであれだけ真に迫れるってスゴイ!」
やはり、この監督はただ者じゃない。
ホラー映画でも、サスペンス映画でもないのに、この作品は「ヒッチコック」を完全に食ってしまった。
助演の障害者の女の子は、あの『エクソシスト』の女の子をSFXなしで圧倒してしまった。
世の中には天才というものがいるものだ。つくずくそう思った作品だ。
機会があったらご覧下さい。でも、娯楽を求める向きは遠慮したほうがいいかもしれません。とても説教的で疲れます。
ボクたちにはまだ、『ある結婚の風景』が残っている。
(2011.01.18) このページのトップへ
今年になって、最高気温がプラスになった日がない。
どういうことかというと、一日中、毎日、氷点下なのだ。
外の気温がそのまま内の気温となるボロ屋の我が家は、当然いつも「氷の世界」ということになる。
仏壇の水が凍る、野菜が凍る、ビールが凍る・・・。
凍らせたくないものは、発砲スチロールの箱に入れたり、「冷蔵庫」に避難するしかない。
「こういう活用方法があったとはね」
ボクが言うと、妻はあきれ顔でこう言った。
「イジョウーだよ、イジョー」
昨日、屋根の一部を雪下ろしした。ついでに煙突掃除もした。そのあと、大きなゴミ袋を1個ずつ持って、雪の中をゴミ置き場まで歩いた。
歩きながら、よそのうちの屋根の雪を見て驚いた。村一番の量で積もっているのは、ダントツ我が家だったのだ。
新しい屋根の家は、雪が滑って勝手に落ちるのだ。
まだまだ冷凍庫の生活は続きそうだ。
(2011.01.18) このページのトップへ
さっき、おばあちゃんから電話があって、今朝姪っ子のメグに乗せられて病院に行ってきた、とのこと。
「祭りが終わったあとだった」
昨日よりははるかに元気な声でそう言った。
医者からは、インフルエンザで熱が出た場合、24時間以内に病院に来なければダメだ、と言われたそうだ。
それなのに、おばあちゃんは丸4日も自力で戦ったことになる。祭りを1人で神輿担ぎしていたことになる。
「おばあちゃん、それだけ体力あったってことだよ」
ボクがそう言うと、妻は妻で、
「ダイエットとか言ってないで、これからもドンドン食べらいん!」
と、妙な励まし方をした。
とにかくよかった。
一命はとりとめた。大事に至らなくてよかった。
石巻のおばあちゃんファンの皆さんに、まずは取り急ぎ、そのことをご報告申し上げます。
(2011.01.17) このページのトップへ
昔むかし、干し柿の大嫌いなおじいさんとおばあさんがおりました。
おじいさんは、庭になっている渋柿を忌々しげに眺めながら、おばあさんに言いました。
「おばあさん、今年は不作で貧しいから、干し柿でも作って冬の備えにしようかの」
おばあさんは、渋柿のような顔でうなずきました。
それから3ヶ月がたって、寒い寒い冬になりました。玄関の軒下には、吊るした干し柿が寒風にさらされています。
「おい、見ろよ。そろそろ食べごろじゃないか?」
それを狙っている鳥がおりました。雪で餌場をなくしたヒヨドリたちです。
「おいら、ちょっくら味見をしてくるぜ!」
ヒヨドリの貫太郎がそう言って飛び立つと、干し柿を1個口にくわえました。
「うまい!」
思わずそう叫んだ時、くわえていた干し柿がビチャッと土間に落ちました。
ちょうどその時、おじいさんとおばあさんが雪かきをしに外へ出てきました。
貫太郎は、慌てて仲間のところへ飛び戻ると、渋々と山のほうへ退散しました。
「おや、こんなところに干し柿が落ちておる」
おじいさんは、危うく踏みそうになった干し柿を見て言いました。
「おばあさん、ところでこの干し柿どうすっぺ?」
「私しゃ、食べませんよ。おじいさん食べてください」
おばあさんは、いつもの渋柿のような顔で言いました。
「いや、わしもよう食べん。もったいないが捨てようかの」
「おじいさんがそう言うならどうぞ」
こうして、干し柿は堆肥の中に捨てられてしまいました。
しばらくして、退散したヒヨドリの貫太郎が戻ってきました。しかし、干し柿は1個もありません。
「あっ、ない。何にもなくなってる・・・」
ヒヨドリの貫太郎は、狐につままれた気持ちになりました。(完)
(2011.01.17) このページのトップへ
煙突が詰まってきた。昨日ススが飛んでいたのだ。
「今日は煙突掃除をしよう!」
妻が言った。
「それから雪下ろしもね」
妻は、1メートル以上は積もった屋根の雪を忌々しげに見つめながらそう続けた。
外は暗い曇り空。風が寒そうに吹いている。コーゾーさんちの竹やぶの竹をユサユサ揺らしている。(そう言えば、コーゾーさんはまだ来てくれない)
ガダッ・・・。
屋根が鳴った。
メジメシメシ・・・。
梁がきしんだ。
最近、この音がすると恐怖心にあおられる。青くなる。
(ツ・ブ・レ・ル・・・)
仕方ない。頑張ってみるか。
屋根から落下して骨折をした人が大勢いるらしいが、「落下による骨折」と「家屋倒壊による圧死」を天秤にかけると、後者を避けたいのが人情だろう。
やるしかないな。
命綱を用意しなくては。
(後記)やりました。4時間頑張りました。生きて生還いたしました。
今、手がプルプル震えて、うまくキーボードが打てないでいます。
でも、圧死するよりはマシ。これでしばらく安心して暮らせそうです。
(2011.01.17) このページのトップへ
ヒッチコックを制覇したボクらは、次は何を観るか考えた。
「ポアロシリーズ観た〜い!」
妻が言った。
「チャップリンシリーズもいいね」
ボクが言った。
でも・・・。ボクらは「ツタヤ」が近くにあるわけでもなく(秋田市まで行かなければならない)、そもそもお金もない。
「早くBSでやってくんないかな」
結局、そういうことになった。
チャップリンで思い出したのだが、彼のこの言葉はボクらの座右の銘だ。
人生に必要なものは「勇気」と「想像力」。
そして、「ちょっぴりのお金」である。
その「ちょっぴりのお金」が欲しい今日この頃である。
(2011.01.17) このページのトップへ
正月から見続けていた「ヒッチコック」シリーズの最終編、ボクらはついに、あの『サイコ』を観るに至った。
怖かった。妻などは少なくとも十分の一は観ていなかった。耳をふさぎ、目をそむけていた。
それにしても、精神異常者の犯罪ってこわいですね。二重人格者。
夕べは時間があったので、「お口直しに」ということで、いつものコロンボを観た。気持ちよく眠るためだ。
『初夜に消えた花嫁』という、何やら意味深なタイトルだった。
ところが・・・。
「ちょっと、ちょっと、何これ」
サイコよりも怖かった。
コロンボも、いつもの呑気な「うちの上さんがね」ではなく、シリアスで機敏でアクティブだった。
「ロス市警」は、さながら「七曲署」と化していた。「西部警察」のおもむき。
こちらも犯人は「精神異常者」。
でも、どう考えてもこっちのほうが怖かった。もちろん最高におもしろかったけどね。
「お口直しどころか・・・」
「お口汚しになっちゃった?」
(2011.01.17) このページのトップへ
このエッセイの長いタイトル『ことなひまめのオッペケペーですっとこどっこいな日常』の意味。
それについて説明が中途半端だったことに気が付いた。
「オッペケペー」と「すっとこどっこい」については以前書いたが、「ことなひまめ」について書いていなかった。
これは、ボクらの事務所名でもあり、「ひまめ」については、そういう名前のボクの小説もあるのですが、今日はその正確な意味をお教えします。
まず「ことな」ですが、これは「こども」と「おとな」を合わせたボクらの造語。「子どもみたいな大人」のことです。
一方「ひまめ」ですが、これは「ひま」と「まめ」を合わせた造語で、「いつもヒマで、性格はマメ」という意味。
当時は、前者がボクで、後者が妻ということだったんですが、どうも最近状況が変わってきました。
妻は決して「ヒマ」じゃなくなりました。「マメ」という点でも、最近ボクのほうも非常に「マメ」になりました。
そういう意味では、「ひまめ」はどちらかというと、ボクに当てはまっているようです。
子どもで、大人で、ヒマで、マメ。「ことなひまめ」ちゃんを、これからもどうぞよろしく!
(2011.01.17) このページのトップへ
おばあちゃんが縫ったウサギの刺繍の入った布巾が、心もとなく揺れている。
おばあちゃんの風邪がまだ治らない。
4日前にこのエッセイで、おばあちゃんの風邪を伝えたが、あれからズッと病の床に伏していたのだ。
リカさんのほうは、あれから2日ぐらいで治り、もう仕事にも出ているのだが、うつされたおばあちゃんは38℃以上の熱にうなされ、食欲もなくホッカイロを各所に貼って寝ているということだった。
こんなに熱が続くということは、今流行っている「インフルエンザ」なのだろう。
夕べ、そういう電話があった。『カレー鍋』を食べている時だった。こっちは、起こさないようにと思って電話をしていなかったのだが、こっちに心配かけているだろうと、おばあちゃんから電話があったのだ。
ガラガラの声で力なくしゃべるおばあちゃん(妻は「魔法使いのおばあさんみたい」と言った)は、何だか言ってることも朦朧としていて、ひどく痛々しく感じた。
離れていて何もできない自分たちに焦りといらだちが募った。
「明日はタクシーででも病院に行こうと思って・・・」
おばあちゃんは弱々しくそう言った。
そうしてくれ。そして早く治っておくれ。
今はそう祈るしかない。
(2011.01.17) このページのトップへ
異論を覚悟で言うと、日本人のオツムをバカにしたのは『センター入試』である。
少なくとも、論理的思考や文章を書く力を著しく劣化させたのは『センター入試』である。
ボクは、幸いというか不幸にもというか、現役時代に『フツウの入試』を、浪人して『共通一次試験』(現在のセンター入試)を受けた世代だ。
今では800校もの大学がこれを利用しているらしいが、マークシート方式というのは、採点側には効率的でいいのかもしれないが、一律に三択、四択、五択で答えを出すというシステムはおかしいとボクは思う。
あれは誰が発明したものなのだろう。きっと当時の文部官僚なのだろうね。
どう考えても、やっぱりあれはダメである。
慶應大学が、センター入試をやめて自前の入試をやるとニュースに出ていた。
『センター入試反対論』の高まりに期待している。
(2011.01.16) このページのトップへ
老眼になった。活字の文字がかすむ。
髪の毛やヒゲに白髪が目立つようになった。
切れも悪い。
典型的な老化現象でございます。
なのに、うちの上さんはすごい。
目は今でも1.5、老眼の気配なし。髪は黒々、白髪1本もなし。切れもいい。
年は4つしか違わないのに、なかなかの若さである。
その上、健康優良児。風邪一つひかない。
昔、親に「嫁をもらうなら馬のような女をもらえ」と言われたものだが、妻は馬の中でもとびきり名馬である。小さな名馬である。
小さな名馬は今、通販のカタログを夢中になって読んでいる。
(2011.01.16) このページのトップへ
その人を見ると、明らかに「かつて○○部に入ってました」というのが分かる場合がある。
体格から分かるものに「柔道部」「相撲部」などがある。この見分け方は、耳がつぶれているほうが前者である。
ただし、「ラグビー部」もデフェンスやってた人は耳がつぶれているので注意を要する。
「相撲部」も、「ただのデブ」と混同するので要注意だ。
それ以外に、鳩胸、逆三角体型の人は「水泳部」か「弓道部」に多い事実も突き止められている。
この見分け方は、目が充血してるか否かで決めるといい。当然充血しているほうが「水泳部」だ。
さて、今から書こうとしているのは「女子ソフトボール部」出身の見分け方である。
色が黒いのは当たり前として、ただ黒いのではなく、きれいな日焼けではなく「まだら焼け」になっている。
それから、言葉遣いが独特である。上州なまりがある。声がしゃがれている。なぜか漁師のようなムードを漂わせている。かなりの確率で丸い眼鏡をかけている。テキパキして感じがいい。ケツはでかいが胸はない。腕が太い。帽子が似合う。
「ペトラス」というガソリンスタンドの店長は、これにすべて当てはまっている。
彼女は「ソフトボール部」でキャッチャーをやっていた。そうボクらは見ている。
(2011.01.16) このページのトップへ
剣術家で、徳川家の剣術師範でもあった彼の言葉。
こうしようと一筋に思う心こそ、人が誰しも抱える病である。
この病を必ず治そうというこだわりも、また病である。
自然体でいること。
それが「剣の道」にかなう、本当にこの病を治すということなのである。
かつて少年剣士だったボクだが、当時こういう悟りはなかった。
自然体。あるがままにすべてを受け入れる心の落ち着き。平常心。
小説家になりたい! 早く風邪治したい!
今もって、ボクはそこに到達していない。
(2011.01.16) このページのトップへ
村で一番の働き者は誰か?
間違いなく「ヤスさん」である。
村にはたくさんの「働き者」がいるが、その中でもずば抜けて働き者がヤスさんだ。
前歯がない。年中スカイブルーのシャツを着ている。頭に手ぬぐいをキッと巻いている。(「ヤスさんかぶり」とボクらは呼んでいる)
そういう容姿は置いといて、ヤスさんはとにかくよく働く。農作業はもちろん、ありとあらゆる雑仕事をテキパキこなす。
「働くために生まれてきた人」、それを本当に地でいっている。
昨日も、屋根に上がって雪下ろしをしていた。
ヤスさん、推定年齢80歳。
性別、女性。
(2011.01.16) このページのトップへ
死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
まだ「不朽の見込み」はないなあ。よって死ねないなあ。
「大業の見込み」かあ・・・。
あるような、ないような・・・。
でも、あるような気がする限り、生きるしかないなあ。
それにしても明治維新の志士たちは、こういう教えのもとに生きていたんだなあ。
かっこいいねえ。
(2011.01.16) このページのトップへ
洋画を観るときにタイプは2つに分かれる。
『字幕派』と『吹き替え派』である。
ボクらは断固『字幕派』である。俳優の声が聞きたいから。吹き替えはしらけるから。
かれこれ500本以上も2人で映画を観てきたが、今日こんな会話になった。
「最近、字幕読まなくても何言ってるか分かるようになってきた」
ボクが言うと、妻は全く違う視点でこう言った。
「私、字幕読んでいると、誤字や表記ミスが気になってしょうがないのよ」
明らかにこれ、「職業病」。
(2011.01.16) このページのトップへ
毎日寒いけど、フダンが楽しい。
フダンの暮らしが温かい。
昨日は、去年の暮に妻がボクにボーナスとして注文してくれていた『トレッキングシューズ』が届いた。(すごいでしょ? うちボーナスでるんですよ!)
うれしかった。
妻にも『七草がゆ模様のパジャマ』が届いた。
思わず、2人で抱き合ってはしゃいでしまった。
気持ちだけでも温かく。それしかないんだよね。
(2011.01.16) このページのトップへ
小説とは要するに人間と人生につき、
印刷するに足るだけの何事かを書く、というだけのもので、
それ以外の文学理論は私にはない。
司馬さんだから言える言葉。
司馬さんだから重い言葉。
(2011.01.16) このページのトップへ
今朝も氷点下9℃です。
何もかもが凍っています。もう何もかも嫌になってきます。
すごい写真をご覧ください。
水道管が割れて、割れ目から水が吹き出し、そのまんまの形状で凍ってしまったのです。
メガホンのような形。その周辺には、不死鳥の彫刻や、きれいな波形模様の欄間が出来上がっていました。
思わず、嘆きを忘れて見入ってしまいました。
メガホンの形だけでもご覧下さい。哀れんでください。
(2011.01.16) このページのトップへ
やっぱりボクの発明は盗まれていた!
さっき、スーパーAMANOで発見してしまった。
『靴下に貼るカイロ』である。
ボクが発明して、まだ2ヶ月というのに、商魂たくましいある会社が製品化していたのだ。
きっとボクのこのエッセイを読んでいたのだ。それしか考えられない。
残念だけど、どこかうれしい。ボクの発明が間違ってなかったことがうれしい。「売れる!」と判断してくれたことがうれしい。
『靴下に貼るカイロ』は薄型で、通常12時間持続する温度が5時間となっていた。価格も3割方高かった。
そういう意味では、ボクの方法が勝っている。やっぱり元祖は強い。
驚いたことに、この会社、『靴下に貼るカイロ』は2タイプあって、足の甲と足の裏を巻くような形にものも売り出していた。さらに、『靴底に貼るタイプ』や『手の甲に貼るタイプ』などもあった。
その飽くなき開発魂に、ボクは兜を脱ぐしかなかった。あっぱれ!
(2011.01.15) このページのトップへ
「この頃、文学が廃れてきている」
文学部出身で、文学に造詣が深い妻は、そのことに深い憂いを抱いている。
世の中の人が本を買って読まなくなった。文学部志願者が減っている。文学を語れる人がいなくなった。
いい文学は、いい絵画や、いい音楽や、いい映画と同じように、人の心を満たし、人生に潤いを与える芸術分野の一角を占めるはずだ。
こんな田舎に住んでいても、心が貧しくならないのは、ボクらがそういうものを日々、読んだり見たりしているからだ。
「文学再興運動に立ち上がろう!」
妻は目を輝かせてそう言った。
「え?」
ボクがポカンとしていると、妻はボクをギッと睨んでこう言った。
「まずは自分が書きなさい! いい作品を書くのよ!」
そういうことだったか・・・。
(2011.01.15) このページのトップへ
代表が仕事で書いている連載原稿に、「十二支十干」というのが出てきて、60年でそれがひと回りすることが書いてあった。
人間も60歳が「還暦」。ひと回りして、もう一回「赤ちゃん」に還る。よって「赤いチャンチャンコ」を着て祝うのだ。
その辺までは何となく分かっていたが、これがふた回りするとどうなるか?
人生で2回も還暦を迎える、すなわち120歳。これを「大還暦」というそうだ。
それを聞いて、ボクは思った。そして宣言した。
「2人揃って大還暦を迎えようぜ!」
昨日のエッセイに「ダイカン」は嫌いと書いたが、こっちの「ダイカン」は望むところだ。
夫婦合わせて240歳ってすごくない! ギネスよ、ギネス!
そんなわけで、夕べのメニューはきわめて健康志向のものになった。
「豆乳豆腐」をたっっぷりと、わさび醤油をたらして食べた。
「ためしてガッテン!」でやっていた「テツばあちゃん」の健康法、「深煎り緑茶」をたっぷり飲んだ。(煎茶の葉にちょっと熱湯をかけ、それをすり鉢ですってペースト状にしお湯を注ぎます。これ、ものすごくおいしくて、健康にもいいんですって。詳しくは「こちら」で)
(2011.01.15) このページのトップへ
誰だってお金は欲しい。
お金があれば、あれも買いたい、これも買いたいと思う。
昨日も『コロンボ』を観ていたら、3000万ドルの宝くじが当たって殺された若者がいたが、彼が殺される前に予約していたクルマはたしか「アルファロメオ」だった。
ボクらは『コロンボ』シリーズを、かれこれ40作くらい観ているのだが、殺人の動機は、ほとんどの場合『金』である。あとは『女』と『怨恨』だ。
そういう意味でお金は怖い。
あればあったで怖い。殺されないまでも、必ずトラブルを引き起こす。
誰かに盗まれないかと、不安で夜も眠られなくなる。
だからボクらは、「必要最低限のお金さえあればいい」と思っている。(強がりじゃありませんよ)
最低限のお金っていくらかって? そうですね、月12万円ぐらいですかね。まあ、ここにいる分には、家賃がかからないのでそのくらいあれば十分です。
ところで、「夢」にもいろいろありますね。ハイエンドな暮らし、高級車、豪邸・・・。
でも、結局、「お金があったから実現できた夢っていうのは、お金さえあれば実現できた夢」でしかないんですよね。
(2011.01.14) このページのトップへ
ロシア人の男が、外で立ち小便をしていると、出た瞬間に「あれ」が凍って「つらら」になる。そういう話を聞いたことがある。
それと同じことが、今朝、洗面所で起こった。
水抜きを解除して蛇口をひねったら、その水が、その瞬間に凍って「つらら」になってしまったのだ。
あれは本当の話だったんだなあ、すごいことだなあ、と思った。同時に怖くなった。
「あれ」も本当に凍るだろうか? 凍った場合、「あれ」の出口器官であるところの「あれ」の機能はどうなるのだろうか? 再起できるのだろうか? いろんな好奇心が渦巻いた。
勇気を持ってトイレに入った。で、試してみたんですが、「あれ」も「あれ」も凍らなかったみたいです。トイレ中湯気ポッポにはなりましたけど。
それにしても、どうなってんの? 今年の気温。何か末恐ろしい気さえしてくる。『氷の世界』。
(2011.01.14) このページのトップへ
誰だってまくれる(転ぶ)んだよ。
大事なのは、誰のせいでまくれたとか言うんじゃなく、
まくれたままで大空を見なさい。
そして、深呼吸をして、これからどうすればいいか考えればいい。
起き上がるのは一番最後でいいんだよ。
ボクがつらかった時期、ノートに書き留めていた文章だ。
誰かから聞いたものか、自分で考えたものか忘れたが、とにかくあの時期、支えになった言葉だ。
まくれた分だけ強くなり、まくれた分だけ優しくなった。
そんな気がする。
(2011.01.14) このページのトップへ
去年だったか一昨年だったか、妻の後輩Fちゃんからのメールに『名前判断』というものが書かれていた。
たまたま、それを見つけてしまったので、書いてみたい。
ボクの名前の頭文字は「や」。「や」は「八」を意味する。
日本では「七」が完成を意味するので、「八」は、その成し遂げたものを「継続」させる。「継続させる力」を周りに与えられる人。また、「矢」のように素早く、仕事や作業が早い。
妻の名前の頭文字は「ま」。「ま」は「真」を表し、「真・善・美」に深く関わる。
人を認め、相手に必要な真理・真実を与えることができる。
そう書いてあった。
妻はドンピシャ当たっている、と思った。「積善倶楽部」の立派な会員になれる、と思った。
ボクはどうか・・・。
当たっていてほしいものではある。そうありたいものではある。
(2011.01.14) このページのトップへ
冬の悪口をいつも言っていると、冬に失礼だと思った。それでボク反省しました。
冬の良さを見つけてみようね。
君はきれいだよ、とっても。美しいよ。清潔だよ。純白の静謐な風景はなんてきれいなんだろう。
まず、君の元では、妻が大嫌いな「虫」が出て来れないでしょ。虫がいないとボクも楽だよ。
それから、いろんな「菌」も生きられないでしょ。だからトイレも臭くないよ。
生ゴミも臭わないから、少しは貯めておけるよ。助かるよ。
冬にもこんなにいいところがあったね。
(2011.01.14) このページのトップへ
石巻弁で「おどけてられないっちゃ」のことである。
つまり、「ふざけてばかりもいられないっちゃ」のことである。
最後まで、意訳に「っちゃ」が付くのは、2人とも仙台が長かったせいである。
おととい、生協の宅配から驚くほど大量多品種の食材が運ばれてきた。
その注文は、12月24日頃、ちょうどクリスマス時分に注文したものであった。宅配システム上、この時期はイレギュラーな注文形態になるのである。
で、ボクらは何を頼んでいたのか、全く失念していた。で、驚いた。なんで? なんで? なんで?
その中には、普段は絶対買わないものも多々あった。金メダル受賞ワイン2本(1本980円)などはその代表例。
「あの頃は、押せ押せムードだったんだよ、きっと」
妻はワインを手に取りながらそう言って、眉根に深いしわを寄せた。
たしかに、クリスマス、プレゼントラッシュ、年末年始、大盤振る舞い、みたいな「インフレの風」が吹いていたのは事実だ。
ボクの誕生日12月10日は、まさにそうした「バブル全盛」「高度経済成長期」の渦中にあった。
しかし、1月のこの時期・・・。
『おどげしてらいねっちゃ』の気分が急速に高まってくる。
「バブル崩壊」「祭りの終焉」「緊縮財政」「デフレ経済の始まり」・・・。
「悲ピー・・・」
妻は、年末にリストアップしていた「欲しかった生活グッズ」のリストに、バッテンをつけながらそう言った。
あの頃買おうと思っていたものが全部、再考の末にボツになっていく。シュリンクしていく。
「あーあ、いっつもこうなのよね、私の誕生日の頃って」
妻の誕生日は1月28日。
「でも、いいもん。ハンバーグあればいいもん」
妻はそう言って強がった。
ひき肉、牛乳、パン粉・・・。
それぐらいは何とかなりそうだ。
(2011.01.14) このページのトップへ
今年に入って、このエッセイで一番使われている言葉は『寒い』である。
間違いなくそうであろう。
あんまり同じ言葉を使うのも芸がないので、今日は『cold』でやってみる。(おいおい、ただ英語にしただけだろうが!)
鈴木東栄ならこういう駄洒落を言うはずだ。絶対言う。
「コールドは凍るど!」
ちょっと寒くなってきた。「cold joke」はいただけない。書いてるだけで「寒く」なる。
(2011.01.14) このページのトップへ
夕べ、妻と凍えながら「寝しゃべり」をしていた。
フトしたことから、「やっぱり元祖消しゴム付きの鉛筆はいいね」という話になり、そう言えば、消しゴムの消しカスをたくさん集めて丸めて、机の穴に詰めたりしたもんだよなあ、という方向に脱線し、それから延々と「懐かしの文房具特集」の話に花が咲いた。その一部を紹介しよう。結構長いです。
その1、「ビニールカバー付きの下敷き」。知ってますか? 時間割とかプリントとかがはさめるヤツ。画期的だったなあ、あれ。下敷きといえば、よくやりましたよね。セーターとかにこすって女の子の髪の毛を逆立てるいたずら。黒い下敷きに鉛筆で「算数の公式」などを書いて、カンニングした経験ある人いませんか? ボクだけ?
その2、「2段重ね式筆箱」。カパッと開けると、時間割表とか鏡とかが付いていて、1段目には鉛筆、2段目には定規や分度器、真ん中に穴の開いた三角定規やコンパスなどが入っていた。ちっちゃな手動式の「鉛筆削り」もあったな。「ゾウが踏んでも壊れない筆箱」に挑んだことある人、いませんか?
その3、「香水入り消しゴム」。漫画のキャラ入りで、金太郎あめのようにどこから切っても同じ模様。ただし、本来の「消す能力」は全然ダメで、黒くなって全然消せなくて、よくプリントを破いていた。本家「MONO」が一番良かった。そう言えば、ザラザラした砂の入った強力消しゴムもあったな。
その4、「鉛筆キャップ」。鉛筆が短くなったときに長さを補う鉄のサックもあったが、鉛筆の芯が折れないようにカバーするプラスチック製のものがあった。なぜかボクは、ラメ入りの「キキとララ」のキャップをよく記憶している。なんでだろう?
その5、「シャーペン」。これは中学生くらいになって文房具界にデビューしたのではないだろうか。シャーペンとボールペンが一緒になった「シャーボ」ってのもあった。持ったまま芯を出せる「サイドノック」とかいうのもあった。シャーペン全盛期の時代だったけど、今でも学生さんとかは使ってるんだろうね。ボクらは全然使わないけど。そう言えば、昔は試験の時に「シャーペン使っちゃいけない令」が出ていたんだよね。なんでだろう?
それから、あの替芯の容器の形(台形)とかは鮮明に覚えている。不思議なのは、シャーペンに付いていたあのチンケな消しゴム。その先に芯が詰まったときに活躍する細い針が付いていた。あの消しゴム、使ったことある人いますか? あんまり意味なかったよね、あれ。
その6、「蛍光ラインマーカー」。もちろん今でもあるけれど、あの頃は画期的だったなあ。辞書でも教科書でも、やたらマーカーで線引いちゃって、かえって見にくくなったっけ。今でもいろんな色のマーカーが氾濫しているが、ボクらはやっぱり「黄色の蛍光ラインマーカー」を支持する。青、赤、オレンジ、緑は文字色の黒とのコントラストが悪くて、かえって目立たなくなるのです。そう思いません?
その7、「削らなくてもいい色鉛筆」。糸が付いていて、ピッと引っ張って紙をちょっと切って、グルグルグルと剥がすヤツ。同じようにそういうタイプの消しゴムもあった。でも、間違って糸を強く引っ張り過ぎてしまい、芯が5センチも露出してしまったことがあった。妻は、糸が切れてしまい大変なことになった記憶があると言っていた。その頃から力が余っていたのだろうな。
その8、「貨物列車式替芯鉛筆」。分かるかなあ? これはおそらく「シャーペン」前夜に開発されたものだろう。シャーペンの登場とともに、その存在意義をなくした。商品名は明確じゃないが、透明な本体ユニットの中に、芯だけのパーツが「貨物列車」のように連結されていて、最前列の車両の芯が丸くなると、それを撤去して、最後列の車両の後ろに連結し、指でピストンのように押してやる。そうするとまた2両目の新しい芯が出てくる。と、まあそういうものですが分かりますか? あれって、あんまり意味なかったね。というか、もったいなかったね、あれ。芯の部分が、いろんな色のカラフルな色鉛筆だったものもあったけど、あんまり使わなかったような気がする。
その他にも、枚挙にいとまがないほどの「昔懐かしい文房具」があるのだけれど、最後にこれを書いて終わりにします。
「電動鉛筆削り機」。これ、画期的じゃなかったですか? 「肥後の守」→「手動鉛筆削り機」ときて、ついに出ました! 「電動鉛筆削り機」!
妻の家にはそれがなかったそうです。ボクの家にはあったんです。真っ赤な「ターボ」。芯の太さまで3段階に削れたんです。
「でもさ、あれって押していると、ドンドン吸い込まれていって、すごく短くなってしまわない?」
そう妻に言われて思い出した。おっしゃる通りだった。
あれで随分、鉛筆を無駄にした。
(2011.01.13) このページのトップへ
「作家は自己の精神的種族保存のために書く」と、誰かが書いていた。
文学作品を書きたくてならない、という憧憬と欲求不満が混合したような気持ちの蠢動。
その気持ちは、小説というものを書く以外に納まりようのないことを訴えてやまない。
そして、なぜそのことを書きたいのかという創作動機(モチーフ)が心を突き動かしていなければならない。
よい作品の誕生には、この創作動機(モチーフ)が鮮烈であり、それによって創作衝動が掻き立てられ、旺盛であることが必須である。
そして、そういう状態で作品が書かれた時、文章もまた必ず良い文章になるから不思議である。
機は熟している。
・・・かな?
(2011.01.13) このページのトップへ
林芙美子の小説。
「少女の悲しみが、まばたきをしない魚の目のやさしさのように、ほろほろと伝わってくる・・・」
すごいなあ。この表現、秀逸だなあ。
「まばたきをしない魚の目のやさしさのように」
「ほろほろと」
こういう形容表現に出会うと、ボクは金縛りにあって、30分以上動けなくなってしまう。
文学とはそういうものだ。
かくも悲しく、そしてやさしいものだ。
(2011.01.13) このページのトップへ
大変なことになった。
石巻のおばあちゃんが風邪をひいて寝込んでいる。
さっき、妻が電話をして分かった。
リカさん(義姉)が職場の店長にうつされ、それが今度はおばあちゃんにうつったのだそうだ。
リカさんは病院に行って、家で安静にしているらしい。
おばあちゃんは、病院に行くこともできず、「寒い、寒い」と言いながら、寝床で丸くなっている。
心配だ。リカさんまで風邪でダウンではどうしょうもない。ご飯は一体誰が作るのだろう?
こんな時、「どこでもドア」があれば、ボクらが病院に連れていって、あったかい鍋などを作ってやることもできるのに・・・。
ちなみに、今日のボクらの夕飯メニューは『特製ちゃんこ鍋』である。
食べさせたいなあ。おばあちゃんとリカさんに。
それにしても、世の中、風邪(インフルエンザ)が流行っているらしい。
気をつけてくださいね。
おっと、ボクもまだ完全には治ってないんだった。
それに引き換え、代表は元気はつらつだなあ。
トトトトトトトト・・・よう頑張ってるなあ。
(2011.01.13) このページのトップへ
カレンダーを見ていて気が付いた。
今日は、小寒と大寒のちょうど中間なのだな。
小寒と大寒の中間なのだから、今日は「中寒」と命名することにしよう、勝手に。
この寒さで、まだ「中寒」だとしたら、1週間後の「大寒」は、一体全体どういうことになるかと思うとゾッとする。
そもそも「ダイカン」という言葉の響きが嫌いだ。
昔から農民をいじめて、高い年貢をむしり取っていたのは「お代官様」だった。
悪代官め! こんちくしょう!
もう一つ、今はどうか知らんが、「代官山」という地名もムッとする。
ハイエンドの人たちが集まる街。オシャレな街、代官山。
代官山め! こんちくしょう!
何だか嫌みっぽいね。
妬みっぽいね。
これだから年寄りは嫌だね。
(2011.01.13) このページのトップへ
があったら・・・。
シチリア島に行きたいな。
カナリア諸島に行きたいな。
ハワイ諸島に行きたいな。
どこでもいいから「あったかい場所」に行きたいな。
ザバ〜ッと波が寄せてくる白い砂浜に寝転んで、ギラギラ降り注ぐ日光を浴びながら、何も考えずに波の音を聞いていたいな。
日除帽をかぶって隣に寝そべっている妻と、キンキンに冷えたテキーラが飲みたいな。
でも・・・。
そうは『イカのキンタマ』(ありえないこと)、これは『畑にハマグリ』(ないものねだり)なんですよね。
『タラレバ』なんですよね。分かってます、そんなに甘くないんですよね、現実は。
しょうがない。
こうなったら、今日は『レバニラ』でも食って、栄養付けて風邪治すぞ。
(2011.01.13) このページのトップへ
このエッセイの愛読者ならお分かりかもしれないけど、ボクらは『脱水槽のフタさん』がそうなように、買い替えれば済むようなものも大事に使って生活しています。
30年以上使っている電化製品だらけ。そういった物たちを選手に見立てて『卓球大会』をやったこともあります。
「物にも命がある」可愛がって大事に使っていれば、必ずそれに応えてくれる。そう信じて疑っていません。
それと似たような考えを持っていた人がおります。天才版画家の『棟方志功』です。享年76歳。
表題の意味は、「無用に見える物にも命がある」、彼の言葉です。
天衣無縫、豪放磊落に生きたように見える彼ですが、本当は極めて細心で小心で自信のない人だったのではないかと、ボクは思うのです。
そんな彼の言葉です。
驚いても驚ききれない。
喜んでも喜びきれない。
悲しんでも悲しみきれない。
それが「版画」です。
そういう無限際のものに遊ばせてもらっている、
私はまた、幸せ者です。
「塵も仏」・・・。塵も積もれば山となる。いいねえ。そうありたいねえ。
(2011.01.13) このページのトップへ
誤解のないように、言っておきたいことがあるんですね。
これを読んでいる人は、秋田の人ばかりではないですよね。
そうすると、ここの気温を知る場合、テレビの天気予報とかWEBの天気予報とか、まあ、そういう手段で知るわけでしょ?
そうすると、「なあんだ。あいつあんなふうにオーバーに語っているけれども、本当は秋田そんな寒くないじゃん! こいつ過剰にサバ読んでるだけじゃん!」
そういうふうに誤解される方もいると思うんですね。
神に誓って言います。本当です。実際に計っているんです。嘘じゃないんです。信じてください。
敷衍して言えば、このエッセイ全般において、ボクは一切「嘘」はついておりません。エッセイとは「真実」「ノンフィクション」であることが信条だと、固く、固くおのれに誓っているのです。
もし、少しでも「嘘」「大げさ」「紛らわしい」と思った場合は、JAROに訴えてもらってもかまいません。
えっ? 誰もそんなこと疑ってない? そんなにムキになるな?
そうですか。ならいいんですけど、年をとったせいか、最近どうも疑り深くなったようです。
あ、本題いきましょう、本題。
例えば「NHKニュース7」で、半井小絵さんが超早口で、超歯切れよく「秋田の天気」を断言した場合、それは秋田全般を言っているわけですね。
でも、秋田は広い。我々が在籍する「五城目町」、さらにその内陸山間部の、ここ「馬場目」という地域は、秋田における「チベット」と言っても過言ではないところです。「陸の孤島」「文明の秘境」「未開の原野」「釣りキチ三平の里」・・・。
しかも、その馬場目の町村の中で、最も安普請の家が我が家なのです。最も暖房効率が悪い家、すなわち最もボロい家が我が家なのです。築42年、空家歴11年、廃屋の残骸、今にもつぶれかかった家・・・。
小絵さんが、どんなに可愛い顔で「秋田の最低気温は氷点下3℃、この1週間は冷え込むでしょう!」と言ったって、ここはそれより5℃以上低いのです。
今朝だって、計ってみたらマイナス8℃だった。水道の蛇口だって、夕べ水抜きして、ボイラーのお湯をチョロチョロ出して用心していたのにもかかわらず、つららになっていた。ボイラーのお湯がつららになるんですよ! 皆さん、信じられますか?
一日中、氷点下10℃〜上がっても氷点下4℃なんですよ。どんなにストーブを焚いても、仕事部屋の気温は10℃以上にはならない。これってどうでしょう? どういう環境なんでしょう? 人が生きられる環境なんでしょうか?
今朝、取手のオッサン東栄から、長〜いメールが来て、「俺は秋田の寒さが好き、恋しい」などと呑気なことを書いてありましたが、そういう不心得者の戯言は放っといて、本当に寒いんですよね、ここ。
さっき起きてきた妻がこう言った。
「悲しい・・・」
パソコンをつけながら、さらにこう言いました。
「寒い、この人、風が出て」
ストーブの前で固まって動かない妻に、さっきの東栄のメールの話を教えると、あっちを向いたままでボソッとこう言いました。
「相手にしないわ」
(2011.01.13) このページのトップへ
コーゾーさんは今日も来てくれない。
電話をしてみようかとも思ったが、彼は彼で「夜間の除雪作業」で疲れているのではないだろうか、という話になった。
妻は、
「こうなったら自分たちでやるしかない!」と言った。
とにかく、少しでも割れるだけ割って、切れるだけ切って、当面の危機を回避するしかない。そう決然と言い放った。
ボクは、その言葉にキッとまなじりを決して立ち上がった。
よーし、今からやるぞ!
頑張るぞ!
「風邪で病欠しま〜す」などとは、もう口が裂けても言えない状況になってしまった。
(追伸)やりました。あれから3時間、放置してあった丸太を妻と交互にマサカリで割って、約1週間分の薪を自力で調達しました。もう汗だく、手はしびれ、腰は痛い。
ドジなボクは、割れた薪が左の膝カブに直撃し黒血ができてしまいました。とはいえ、この安心は何ものにも代え難いもの。ああ、よかった、よかった。
けがの功名か、いい汗かいたらボクの風邪も治ったような気がします。
(2011.01.12) このページのトップへ
誰かが言った。
「作家とは観る人である。死ぬ時も眼を開けたままでいるのが作家である」
なるほど。
そういうことであったか。
眼を開けていればいいのだな。
死ぬ時も眼を開けているということは、寝る時だって眼を開けているはずだ。
よおしっ!。
そう思って昨日頑張ってみたが、寒くて眼が痛くなって、涙が出て、3秒ともたなかった。
作家にはなれそうもない。
(2011.01.12) このページのトップへ
最近、寒い寒いとそのことばかり書いている嫌いがあるので、今回は少し文学的に格調高くいこう。室生犀星さんにご登壇願おう。
ふるさとは、遠きにありて思ふもの。
そして悲しく歌ふもの。
よしや、うらぶれて「異土の乞食」(いどのかたい)となるとても、(注)妻はこれを「井戸の蛙」(いどのかわず)と暗記していました。文学部出身なのに・・・。
帰るところにあるまじや。
ひとり都のゆふぐれに、
ふるさと思ひ涙ぐむ。
そのこころもて。
遠き都にかへらばや、
遠き都にかへらばや。
かつて、うらぶれて、異土の乞食のようにして、都から戻ってきたボク。
そのボクにとって、ふるさとは・・・。
ふるさとは・・・。
やっぱり寒い!
(2011.01.12) このページのトップへ
これでは生きていけません。
どごにほして!(石巻弁ですがうまく意訳できません。とにかく憤懣と驚愕の表現です)
どうなってんだよ。まだまだ続くんでしょ?
やっぱり、ここでは生きていけません。
これ以上、どうしろっていうのよ。
(2011.01.12) このページのトップへ